【観劇】記録としての短い感想文

こんにちは、日野あかりです。

今週は会社の大きいイベントにだいぶ駆り出され、心身ともに疲れましたが、今日の観劇で心の栄養は摂取できたように思ってので、記録として残しておくことにします。


楽園王『銀河鉄道の夜』

過去共演して、なんて可愛らしい人なんだろうと思っている藤田早織さんが出演されており、先日WSでお世話になった長堀さんの団体。

名前はよく聞いていたのですが、実際に観劇するのは初めてでした。

銀河鉄道の夜、おそらく昔に読んだと思われる、というくらいの記憶しかなく(むしろ一番思い出せるのはラーメンズのコント「銀河鉄道の夜」)、ストーリーも朧げだったので、登場人物とあらすじを確認してから観劇。

話が逸れますが、古典や原作がある作品の場合はほぼ100%、事前予習していったほうが楽しめるな、と実感した次第。

先日のアマヤドリ「野がも」も、人物相関や話の内容がわかっていたから何倍も楽しめたんだという気がします。(しかもそのあと戯曲買った。)

今回の観劇に話を戻すと、やっぱりこれだけの名作なので細部まである程度わかって観るという想定があるように思いました。

ストーリーとしては銀河鉄道の夜そのものなんだけど、そこに絡んでくる現代の青年と女性の話(永訣の朝、がここで出てくるんだ…という感動。読み込もう)がよい。

うしなわれてしまう人(=カンパネルラ)を演じる藤田さんの強い笑顔が、今までの印象とは違って、すごくハッとしてしまう、色で言うとビビットなイメージでした。

劇中、すごく心を掴まれたシーンがあって、氷山にぶつかった船に乗っていた子供たちと家庭教師が列車に乗り込んできて、寝ている子供たちの横で家庭教師が経緯を語るところ。

なんでかは明確にわからないけれど、大さじ1くらいの水分が出て行きました。

ひとを喪うということ、喪っていくことの捉え方、みたいなものが琴線に触れたのかも。


ほろびて『つながらない <null> を巡るこどもとおとなのものがたり』

これもまた、ひとを喪うことへ、どう付き合っていくか(立ち向かうのではなく、付き合う)ということが最後にくる物語でした。

劇中は終始、おじさん(と若者一人)たちの飲み会として進んでいき、フィクションとノンフィクションの間をスイスイと泳いでいく俳優たち。

ひとりひとりの語りが挿入されるのだけど、その見せ方が「上手い」。。ああいう観客にむけた自分語り的なものって、どうしても視線を外してしまうことが多いんだけど、この劇では妙なリアルさがそれぞれにあって、本当に彼の話をわたしが聞く、という錯覚をするくらいに自然にこちらに伝えられてくるのが、見事だなと思いました。

シリアスな場面と、ゆかいな場面と。その二つにいい感じにゆさぶられてからの、最後。

単純な説明をするとすれば、「どんでん返し」なのかもしれないんだけど、全然そういう風に思わなかった。

吉増さんの、いっそ淡々とした語りが、冒頭と繋がり、切ない。

水を通して見た世界に、見たいものがみえるんじゃないかって、そんな優しくて悲しい希望があるのか、と思って、また水分が体から失われていきました。。


演劇(=ここでは観劇体験について言う)は、自分の体験とあわさることによって、その人だけの唯一の劇になるのだな、ということを改めて感じた。

わたしはいままで、自分の心の一部も失われるような別れを経験してはいないけど、その端々と劇とがリンクして、いろいろなことを考えられる、そこが演劇の面白くて素敵なところだと改めて感じた1日なのでした。


わぁ、短い感想文だなぁ。



ひの

何者かになる過程

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